井戸端監視カメラ



暇潰し連載 「中村春吉 自転車世界無銭旅行 その29」

自転車世界一周の中村春吉、まだ自転車の話が少ししか出て来ていませんが、
なんと、漕ぎ始めたラングーン(現ヤンゴン)から、
既に1,500km程も走破している様です。

い、いつの間に・・・。

(29)人外境の遺書(ブリキ缶の中へ)





しかしこの時、不動明王と言うより、実は動転明王だった。
気がデングリ返ってしまい、最初に慌てて手製爆裂弾の缶を無暗に振り回したものだから、
石油を浸した高野豆腐は殆どが飛び出してしまい、猛火が身辺を取り巻いて炎々と燃え上がり、
その為、狼は簡単には近付けないが、火の勢いが弱くなると、すぐに押し寄せて来る。
押し寄せて来ると、また手製爆裂弾を振り回すのだが、この爆裂弾もいつまで続く事やら・・・。

コレが悉く尽きてしまったらどうする?
仕方ないから、天幕に火をつけて、その火で防ぐ他無いが、
天幕などはすぐに燃え尽きてしまう。
それも燃え尽きてしまったらどうする?
遺憾ながら、天魔鬼人ではない僕は、とても数百の狼には敵わぬ。
暫時奮闘する間に噛み倒され、骨も残さず死んでしまうしかない。



そう思うと実に心細くなったが、火が消えるが最後、どうにもこうにも助かる道は無い。
しかし、同じ死ぬにしても、知る人も無く犬死を遂げるのは残念で堪らぬ。
かつて日本横浜を出発する際、親友福井清次郎君は、
「道中、万一進退窮まった場合には、何処からでも電報を打て。応急の手段を廻らす。」
と言われたが、今は電報を打つどころか、応急の手段も何もあったものではない。

けれど、そうまで言ってくれた福井清次郎君、
僕が何処で如何なってしまったか分からない様になったなら、
きっと驚き、不審に思う事だろう。

運命尽きて、此処に死ぬのはやむを得ないが、
せめて我が信頼する福井君兄弟だけにでも、自分の死に場所を知らせたい、
と思ったから、僕は左手で例の爆裂弾を振り回しながら、
右手をカバンの中に突っ込み、鉛筆と手帳を取り出すやいなや、
手帳の一枚を引裂き、燃え上がる炎の光に照らして、
文句も字体も無茶苦茶の走り書きで、

「中村春吉は漸く此処まで漕ぎ着けしが、
 アサンソールとブッダガヤとの間で狼の群れに襲われ、
 無念の涙を飲んで横死す。」


と書き、その横に年月日を記し、それを片手で揉んで、
既に中身が燃え尽くして空になった、一個の手製爆裂弾のブリキ缶の中に押し込み、
また別に一枚の紙を引裂き、その表に英文で、

「コノ品ヲ見ツケタ人ハ、便宜ノ日本領事館ヘ届ケテクダサイ。
 ソノ御礼ニハ、コノ不運ナル旅行家ノ遺留品ヲ悉クサシアゲマス。」


と記し、その紙でブリキ缶の外部を包み、それを天幕の上に乗せたが、
最後に爆裂弾の尽きた場合には、この天幕に火をかける積りだから、
そんな遺留品も残るか残らぬか分からぬ。



とにかく僕は決死の覚悟を決めた、とは言え5分でも10分でも長く生きていたい。
その内に夜が明けるだろう、夜が明けたら如何にかなる。
夜が明けるまで命を保つには、どうしても火を絶やしてはならぬ。

そこで僕は、先程までの様に無暗に手製爆裂弾を振りまわさず、
狼の襲撃の程度に応じて、火花を散らした。
手製爆裂弾は、倹約して使えば一缶で約50分間用を成すのだが、
一缶使い、二缶使い、遂に五缶を使い終わり、
残り一缶となった頃・・・ようやく東の空が白んで来た。



やれ嬉しや!この様子だと天幕を焼かずに済むだろう、と元気を出し始めていると、
その内に夜は完全に明けて、太陽は荒野の端から、キラキラ輝き昇って来る。

元来、狼は太陽を見ると非常に勢いの弱くなる生き物で、
ウォーウォーッ!と吠える声も段々弱まり、
大半は太陽の光に射られて、遥か彼方の森の中へ立ち去った。



さぁこうなると今度は僕の方が気が強くなって、
未だ残っている狼を尻目に、素早く天幕をたたみ、カバンの口を閉じ、
それを自転車に縛り付けるや否や、その上に跨って、
ペダルを踏む足も忙しくブッダガヤの方角を目指して走りだしました。

狼の群れは、なおもしつこく僕の後を追って来たが、
自転車の後方には輪を作った長いロープが、昨日のままに引き摺られているので、
狼共、後ろからは怖くて飛び付けない。
やがて正午頃になると、狼は「もうとてもこの人間を獲って喰う事は出来ぬ」と諦めたのか、
一匹去り、二匹去り、いつの間にかその姿が全て見えなくなりました。

僕はホッと一息つきました。
その夜の事を思い出すと、今でも身の毛がよだつ程です。



狼は僕を喰い損ない、空きっ腹抱えて立ち去った。
それと同時に、僕も俄かに空腹を感じて来たのです。
それもそのはず、昨夜は大活劇をやり、今朝も無論飯を喰う暇など無く、
命からがら逃げて来たのだが、早や正午となり、狼の姿も見えなくなると、
今度は腹の虫がソロソロ唸りだした。

そこで僕は自転車を下り、ある大木の根に腰をおろして一休みした後、
例の蒸し飯を拵えて食べたが、その美味い事はお話にならぬ!
それに此処は、あの恐ろしき荒野をいつの間にか通り越し、
山と山との間の、日当たりの良い谷間とでも言うべき所で、
絶壁は白く、立木は青く、水晶の液を湛えた様な湖は彼方に広がり、
その波間に魚や亀が楽しそうに泳いでいるなど、目も覚める程の景色で、
これを昨夜の光景と比べると、まるで地獄を過ぎて極楽へ出たる如く、
僕は何だか恍惚として、下手な俳句の一つも詠みたくなったが、
身体も精神も到って疲れているので、中々それ所の騒ぎでは無い。



それからまた自転車に跨って旅行を続けたが、昨夜以来絶え間無く力瘤を入れていた為、
全身の節々が痛くって堪らず、したがってペダルを踏む力も弱ければ、
自転車の進みも遅く、その日半日掛かって、ようやく12,3里の道を進み、
日の落ちる頃、シロツテートという所に着きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

続く。
by kaleidocycle | 2011-01-29 23:48 | 暇潰し読み物
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