昨日の休みは、単車で丹後へ。
単車で長距離走るのには、さすがに辛い季節になって来ましたが、
やはり自転車とはまた違う魅力が単車には有り、寒さよりも楽しさが勝ちます。
日常自転車ばかりで、
出動の機会も滅多に無い。
しかし、それ故に、
大事にしてしまうマイマシーン。
実に、自分の要望を、
過不足無く適えてくれる、
素晴らしい一台でございます。
って、単車の話なんてどうでも良いですな。
そんな事よりも、偶然から始まった「
自転車世界無銭旅行」ドンドン行きましょう。
だってね、コレ・・・今回(3)ですが、実に全50回まである予定。
勝手にとことこ行きますんで、ついて来るのが邪魔臭い人は飛ばして下さいね。
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(二)無礼な外人野郎(鉄拳のお見舞い)
それから間もなく、この話をした島村君は学術研究の為ヨーロッパへと旅立ったので、
無銭冒険家の事について語り合える人も居らず、
私の頭の隅には中村春吉という名前が深く刻まれはしたものの、
様々な計画でドタバタと追い立てられる中で、いつしか彼の事も忘れてしまった。
ところが明治36年(1903年)の夏の事である、
私は旅行が好きなので、数日の暇を見つけ、ブラリと神奈川は鎌倉海岸へ遊びに出掛けた。
鎌倉海岸の旅館に逗留していた、ある日の午後、
一人で松並木の狭い街道をぶらぶら散歩していると、
前からひょこひょこと一人の少年がやって来た、
歳の頃は12,3にして、浅黄色風呂敷包みを首に結び付け、
道端の枯れ木の枝にとまってカァカァ鳴いているカラスを、
ボンヤリと眺めながら歩いて来る様は、実にのんびりしたもんである。
するとその後ろの方から、疾風の如く走って来た一台の自転車がある。
跨っているのは、縞柄の背広に赤いネクタイ、ハンチングを被った、
いかにも傲慢な顔をした髭面の西洋人だ。
本当に、この周辺で西洋人が威張る事はしょっちゅうだ、
日本帝国の、この素晴らしい景色を持つ土地を、
まるで自分達の領地の様に受け取っている。
鎌倉や逗子あたりの駅に降りた事のある諸君なら知っているであろうが、
西洋人達は何の権利があってそうするのかは知らないけれど、常に日本人を見下し、
日本帝国の法律を無視し、その無礼な振る舞いは数えてもキリが無い程だ。
例えば、鉄道規則では客が線路内に立ち入る事を禁じており、
向こうのプラットホームに行くのであれば必ず陸橋を渡って行かなければならない、
と、英語の看板まで出しているにも拘わらず、
西洋人は目が無いのであろうか?キチンと陸橋を渡る人は非常に稀で、
汽車を待つ事が退屈なのは誰もが同じなのに、
西洋人達は自分だけが退屈な様に不服げな顔をし、
女性までもが自分勝手に振る舞い、線路に入りたければ線路に入り、伸びなどをし、
まるでコレが健全な振る舞いであるんだよ、と言わんばかりに、好き勝手な行動をとる。
たまに、駅員が注意をしたとしても、その表情に、
「
下等人種が何を生意気な。」と言う様な嘲りを浮かべ、
慌てる事無く、したい様にし続ける。
もし我らと同じ日本人の、田舎の婆さんが知らずと同じ様なマネをしたとしたら、
もう大変、たちまち襟首掴んでプラットホームに引き摺り上げられ、
拳骨で殴られても文句の言えない様なものなのに、
なぜ西洋人は殴られないのか?実に納得の行かない事ではないか。
それはさておき、今ここにやって来た西洋人の傍若無人な様は別格で、
この狭い道を、人など居ないかの様に
自転車を飛ばし、
少年に追いついたと同時に、犬を追い払う様にシッシッと声をかけたが、
少年はボンヤリしていた為さける事も出来ず、
アッと言う間に
自転車に轢かれてしまい、自転車は彼を乗り越えて横倒しになり、
乗っていた西洋人については、無事にヒラリと着地したが、
少年は鼻血を出して泣きだす騒ぎに。
手前でこの様子をみていた私も驚いたが、
何しろ人様を怪我させた事なので、西洋人はきっと怪我人を手厚く介抱するのかと思いきや、
この外人野郎はなんと冷たい人間なのか!ちょっと振り返ってはみたけれど、
相手はたかがハナタレ小僧じゃないかとみくびったのか、腹立たしげに
「チッ!」と舌打ちし、
再び自転車に跨り、謝りの言葉も無く走り去ってしまおうとした。
私は怒髪天を突いてしまった。
少々やり過ぎかとも思えるが、人を馬鹿にするにも程があると思ったので、
手に持っていた太いステッキを、
オラ!とばかり投げつけてやると、
ステッキはブーン!と音させて飛んで行き、
今まさに逃げてしまおうとする外人野郎の腰の辺に当たったから大変だ、
彼の外人は
「プルー!」と叫んで自転車から落ち、
この野蛮人め!何をする!と言わんばかりに歯をむき出して此方を睨んだ。
私は急いで駆けて行き、片手で西洋人の襟首をつかみ、
もう一方の手でステッキを拾い上げ、
未熟ではあるが、こんな時にこそ以前学校で習った英会話が役に立てねばと、
「
何をするもこうも無いわ!
貴様はあのジャパニーズボーイに怪我をさせたまま、黙って逃げるつもりか!
逃げるなら逃げてみろ、その代わり拳骨の2,30発は喰らわせて、
この太いステッキで、自転車を滅茶苦茶に破壊してやるからな!」
と怒鳴ると、西洋人は真っ赤になって怒ってはいたが、
自分が悪いので仕方ない、下手に言い合いなどして殴られてはたまらんと考えたか、
それとも自転車を壊されては損だと気付いたのか、
怒りに頬っぺた膨らませながらも、手を振り振り、
「
分かった分かった、自転車を壊すのはよしてくれ、
怪我人には詫び金を出すから、それで良いだろう。」
と言う。
「
詫び金など出すのではなく、
怪我人の鼻血が止まるまで介抱し、真面目に謝っていけ。」
と、西洋人を引っ張って少年の傍に行ってみると、
少年は未だにシクシクと泣いているけれど、怪我自体は大した事無く、
少し様子を見ていると鼻血も止まったので、
嫌がる西洋人をステッキで脅しつけ、両手を膝の下まで下げさせて少年に謝らせて、
謝罪が一通り済めば、少年は涙を拭き拭き、やがて歩いて行ってしまった。
例の西洋人も、こんな所に長居は無用とばかりに懲りたのか、
すぐさま自転車に飛び乗り、さよならの一言も言わず、
一目散に逃げ去ってしまう、その後ろ姿を見送りながら、
「
馬鹿者めが、こんな狭い街道であんなに自転車を飛ばす奴があるか。
そんなに自転車を飛ばしたければ、インド大陸でも行ってやるがいい。」
と呟いたが、この時ふとなんとなく、未だ会う事の無い友人である、
中村春吉君の名前が脳裏に浮かんで来た。
あぁ、あの無銭冒険家も同じく自転車に乗る人ではあるが、
この狭い街道で少年に衝突して赤っ恥をかいた今の西洋人とは中身が違う。
中村春吉はインド大陸を通過し、ヨーロッパに到達し、
フランスの新聞にもド根性旅行家と書かれた程に壮快な人間だが、
その後は、何処へ行き、如何なった事だろうか。
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フランスの新聞に彼の名が現れ、パリにおける歓迎会の賞金を退けて、
イギリスの方へ向けて走り去ったのは、もう一年ほども前の事だから、
もし彼の運命が尽きていないのであれば、それから大西洋を渡り、
アメリカ大陸を横断して、首尾よく世界一周の目的を遂げ、
その自転車は最早日本の土の上を走っているはずであるのに、
その消息はハッキリとせず、噂も聞かれないのは何でだろう。
私は様々な事を考えながら、引き続きそこらをウロウロ散歩して、
ついに夕暮れとなったので旅館に帰ると、それから約一時間後、
旅館の私の部屋の真下辺りで、
「
オイ!春浪漁史(私の事だ)、居るか~。」
と怒鳴る者が居る。
いやに大きな声なので、さては先程の西洋人が通訳でも連れて仕返しにやって来たのかと、
障子を押し開け顔を突き出してみると、来ていたのは敵などではなく、
大親友のK君で、子分を4,5人引き連れてドヤドヤと遊びにやって来たのだった。
「
やぁ珍しい、上がれ上がれ。」
と、そこから夜更けまで話は盛り上がった後、私はからかい半分で、
「
おい、K君、君のデカい声はもはや治安妨害ものだ、
人を訪ねる時は優しい声でゴメンクダサイと言わないと。
さっきあまりに大きな声でOi!Oi!と怒鳴るものだから、
僕は外人野郎が仕返しにやって来たのかと思ったぞ。」
と、言うとK君は大口を開けて笑い、
「僕の割鐘声は生れつきだ、時々キチガイかと疑われるけどね、ウッヒャッハッハッ!」
で、君は今、外人野郎が仕返しに来るとか何とか言ったが、
君はまた何かイタズラでもして外人野郎に押し寄せられる事でもあるのかね?」」
と怪しむので、
「いや、イタズラでは無い、今日はとても面白い事をやって来たのだ。」
と、さっき自転車乗りの西洋人を懲らしめた顛末を語ると、K君は納得した様で、
「ユカイユカイ!」
と叫んだが、急に何かを思い出した様で、
「時に君、今の自転車乗りの一言で思い出したが、僕は今日東京から此処へ来る前、
ちょっと横浜に立ち寄り、あっちこっちをウロウロしている間に、
横浜波止場で久し振りに一人の珍しい男に再会したよ。」
「何?珍しい男に再会したって、それは誰だい?」
「おそらく君は名前も知らないと思うが、
無銭で自転車世界一周をくわだてた中村春吉という男さ。」
「何!中村春吉だと!それでは我らが仲間の快男児 中村春吉は、
無事日本へ帰って来たのか!」
と、私は喜びと驚きで飛び上がってしまい、同時にK君も驚いた、
「いやぁ、そんなに踊って喜ぶところを見ると、君は中村君を知っているのかい。」
「いや、知らん。まだ顔も見た事無いが、名前だけは知っている。
実は昨年、フランスの新聞に中村春吉の事が出ているのを聞いてから、
僕は陰ながら常に彼の成功を祈っていた一人なんだ。
なにしろ日本でこの珍しい冒険旅行をくわだてた先鋒が、
無事にその目的を遂げて帰って来たと聞いては愉快で堪らないよ。
それにしても君は久し振りの再会と言ったが、以前から中村春吉とは知り合いなのか?」
「いや、知り合いという程では無いが、僕は去年中村が日本を去る時、
偶然彼の出発を見送り、今また偶然彼を迎える事になった訳だから、
仏教信者に言わせれば、何かの因縁ってヤツなのかもしれないな。」
「ふ~む、それは面白い。
一体中村春吉はいつ日本を出発したのだ?出発する時はどんな様子だった?
知っている限り聞かせてくれないか。」
と言うと、K君も話好きな男なので、記憶を手繰り、聞いていない事まで話してくれたのだが、
その話がまたとてつもなく面白い物だった。
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続く。