はいはい、前回から始まりました暇潰し読み物「
自転車世界無銭旅行」。
前回のプロローグに続き、遂に本編が始まる今回!
なのですが・・・まだ著述者 押川先生の話ばかりです。
正直、クロヒョウをシバき殺して食ったり、
紐を結んだ高野豆腐に火をつけて狼を追い払うなどの、
中村春吉武勇伝に酔いたい所なのですが、
まぁモノには順序がありますから、慌てず騒がず、じりじり行きましょう。
それでは本編第一から。
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(一)奇異の因縁(世界的日本人)
冒険小説を読む事は、映画を見るのと似ており、
英雄あり、美人あり、修羅場あり、秘境あり、
世界中の珍奇な場所と、珍奇な事物が続々現れる等、
作者による思いもよらない考えが次々に飛び出し、
故に読者の魂が吹っ飛ぶ程に面白いが、
そんな話もあくまで創作であり、現実の話が元になっているのでは無いとなると、
「ちょいと張り合いが無いなぁ」、というのは、
こういった物語を好む読者諸君の口から、時々漏れる愚痴である。
男ならば、そんな愚痴を言っていてはいけない、
しかし、愚痴を言うのも仕方ないと言えば仕方ない。
なるほど、りきんだ所で作者の頭脳はまるで映写機の如く、
次々に白いスクリーンに像を結びはするものの、
影はあれど形無しと知っては、ちょいと張り合いがなくなるのも頷ける。
しかし、もしここに小説に似てても小説ではなく、
映画よりも面白い本当の冒険物語があったらどうする?
如何に口うるさい諸君といえど、けっして「
張り合いが無い」なんて文句は言えまい、
こう言ったなら読者諸君は目を丸くして「
そんな本当の冒険話があんの?」と聞くだろう。
そして書き手である私はこう答えるだろう「
有る。」と。
続いて諸君は更に聞くだろう「
何処にあんの?」
ならば私はこう言い放とう「
此処に有る!」
これより私が書き記して行く、我が仲間の快男児
中村春吉君の、
「
自転車世界無銭旅行」がそれである。
勿論、この物語は事実であるから、幽霊が出たり、魔城が存在していたり、
また死人が甦って踊り出したりする様な、変幻奇怪な出来事こそ無いが、
その代わり、物語に登場する人物は、皆現在この地球上に生存する人々なので、
諸君がもしそれらの人々に会おうとすれば会う事も出来るし、
殴れば怒り、くすぐれば笑い、針で突けば血が出て当然なのである。
とりわけ主人公の中村春吉君は、当然存在する我が同胞の一人で、
自ら「
世界的日本人 中村春吉」と呼ぶのである。
20世紀の弥二喜多道中は世界が舞台でござる!と、
足の代わりに自転車飛ばし、インドの熱風に、北欧の寒風に、
日章旗をひるがえして地球の表面を一周し、
この手の冒険旅行は西洋人だけに出来る離れ業ではない、
極東日本にもこの名物男あり!とばかり、
歴史上初めて自転車で世界一周を試みた日本人なのだから、
たとえその旅行記にガリバー旅行記に出て来る様な奇妙キテレツな事や、
また例の弥二喜多道中に出て来る様なオモシロ話が無くとも、
事実は小説とは違い、小説はあくまで写る「像」の様な物でしかなく、
いかに旨そうにご馳走の絵が書けた所で、食べて満腹する事は出来無いし、
影法師が如何に本物の様だとしても、捕まえる事が出来ない事を知っている諸君なら、
本編を読み、小説の100倍も興味を湧かすであろうと信じる。
ところで、私がこの壮快な物語を編述する事になったのには、ある不思議な因縁が有る。
私は本編の主人公である冒険旅行家の口からその体験談を聞くまで、
中村春吉とはどんな顔をしており、何を考えている人間なのかを知らなかった。
しかし、ある因縁から、この地球上住民中に、中村春吉なる一人の快男児が存在する事、
その事はとっくに知っていたのである。
ではその因縁とは一体?
もう数年前の事であるが、私はある日島村君という友人の家に遊びに行った。
島村君はとても度量の大きな人物で、イギリス・フランス・ドイツ語をこなす所から、
外国の新聞を数種とっている。
ある時、私は彼と仲が良かったので、いきなり彼の家にあがって行ってみると、
彼は居間の安楽椅子にもたれたまま、眼鏡を光らせつつ、
何かに感心した風で、一枚の外国新聞を読んでいたが、
私の入って来る足音を聞いて、その新聞をそこに置き、
「よう、突飛番長!=突飛番長は私の渾名である、まことに有り難い渾名だ=
よく来たね、最近面白い事はあったかい?」
とゆったり背を起こしてきて、迎えてくれた。
そこからは、いつもの通りにコーヒーを無闇に啜りつつ、
互いに一歩も引かぬ種々の議論を白熱させ、しまいには畳の埃が舞い上がる程に。
近所の人々は喧嘩じゃないか、と疑ったのか、
それともいつもの水掛け論が始まったと馬鹿にしたのかは知らないけれど、
東アジアの形勢を論じるやら、世界併呑策を立てるやら、話題は次々に逸れて行き、
やがて「日本人はもっと世界狭しと飛び回る様にならねばならん」という議論に移ると、
島村氏は更に乗って来た様で、眼鏡越しに私の顔を睨み上げ、
「おい突飛番長!君は近頃しきりに冒険小説を書くが、小説が何だってんだ!
そんな暇があるなら、何で自分で冒険に出かけてみようとしないんだ。
机の上でコツコツ小説なんか書くよりも、
日本のスタンレーを名乗って出た方がよっぽど面白いじゃないか。
僕は近い内にヨーロッパに行くが、その留守中、
君も何か一つ、アッと言わせる様な事をやれ、
飛行艇を飛ばして北極探検に挑戦するもよし、
モーターボートに乗って太平洋を横断するもよし、
何でもかまわないから壮快な事をやってみろよ! 」
と煽り倒す。
島村氏は、言うは易く行なうは難し、という格言を知らないとみえる。
本当の冒険は命がけ、そんなに簡単にやれるものか。
けれども私にも突飛番長と呼ばれるなりのメンツがある、
この様にデカイ事ばかり言われたままでは、黙って居れず、
握り固めた拳で額を叩き、威勢良く言ってやった。
「
僕が今冒険小説を書くのは、やがて本当の冒険をする為の準備なのを知らないのか、
驚くなよ、僕は密かに破天荒な計画を企てている、
それを実行する機会は未だ来ないが、何しろ大事件を為すには、
予め世界の形勢を知っておかねばならないのだから、
僕は取り合えず馬か自転車かで世界一周に挑戦し、
君等のドギモ抜いてやりたいと思っているのだ!」
と言ってやると、島村君はハハハと笑い、
「遅い遅い、遅蒔きの種だ。
馬での旅は(もっとも地球半周だが)すでに福島中将が挑戦し、
また、自転車世界一周は、日本人で君と同じ計画に先に挑戦した快男児が居る。」
「
何だと!僕の先を越した快男児が居るだと?
それは本当か・・・?」
と、突飛道人と虚勢を張った所で驚きは隠せず、
「
それで、その冒険家は首尾よく自転車世界一周出来たのか?」と聞く。
「さぁどうだろう、首尾よくその目的を遂げるか如何かは未定で、
今がその旅行の真っ最中さ、まぁこれをご覧よ。」
と、島村君は手に持っていたコーヒーカップをそこに置き、
代わりにさっき読んでいた一枚の外国新聞を取って差し出した。
それは最近の郵便で日本へ到着したフランスの新聞である。
島村君はその新聞のある欄を指差し、
「ここに我等日本人にとって、痛快と叫ぶべき記事があるのだ。
僕等は今日まで知らなかったが、我が同胞で、
姓は中村、名は春吉という冒険家が、
無銭で自転車世界一周の目的を抱き、
既にフランスのパリまで辿り着いたとの事だ。」
「
ええ!無銭で自転車世界一周とは大胆極まりない。
僕もいつか自転車世界一周をやりたいと思っているが、
それは充分に旅費を用意してからの事で、
充分な旅費を持っていても簡単な事では無いのに、
無銭とは驚いた、一体その冒険家とはどんな人物だろう?」
「この新聞に書いてある所によると、中村君は勇敢なる東洋人の容貌で、
身長約五尺六寸(170cm)、長い髪が肩に垂れ、
逆立つ虎髭と古びた旅行服とは大陸の砂塵に汚れ、
顔色はインディアンと間違う程に真っ黒に焼けているとあるのは、
きっとインドの酷暑の中を過ごした為だろう。
野宿する為の様々な道具を結び付けたランブラー式の自転車に跨り、
その自転車の後部に日本の国旗を翻し、
なんともかんとも形容し難い異様ないでたちで、花の都パリへ乗り込んで来た様は、
まるで東洋の猛獣が押し寄せて来た様に思われる、と記してある。」
「
アハハハハハハ!痛快痛快!
しかし東洋の猛獣とはひどい事を言う。
ヨーロッパ人もきっとビックリした事だろう。」
「随分と驚いた様だね。だからこの記事の中にも書いてあるよ、
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冒険事業は欧米人独自の得意分野で、東洋人にはまねの出来ない事だと思っていたのに、
極東日本にもこんな快男児が居たのか、
日本はこの頃だんだんと国力を伸ばして来るに従い、
この様な快男児も出て来る様になったのだ、
もっとも、単に自転車で世界を一周しただけなら、欧米人の前例は随分ある。
けれども、それは多額の旅費を用意して行った事で、
無銭で飛び出したのは恐らくこの人が初めてだろう。
だいたい、無銭旅行と言う様な事は欧米人にはあまり出来る事では無く、
その様な向こう見ずの勇気を持つのは、世界中の文明国中では日本が一番だろう。
文明人にして、この様な蛮勇を備え持つ者ほど恐ろしい者は無い、と。
そこでパリの各新聞社の有志が発起人となり、
この珍しき日本人冒険家の歓迎会を開いた所、
その席上で中村君は持論を威勢よくブチ上げ、
その勢いがまた大いに来会者を驚かせた様で、
欧米諸国の風習として、やんややんやの拍手喝采を受けた人には、
賞金を贈る習わしがある為、新聞記者の一人がシルクハットを出し、順に回して行った。
すると中村君はひたすらに首と手を横に振り続け、
それは無用だ、僕は無銭で日本を出て来たのだから、無銭で日本へ帰る。
今回の旅行は金儲けの旅では無い。
勿論、長い道中一文無しでは干物になって死ぬかもしれないし、
干物になって死ぬからと言って泥棒をする訳にもいかないから、
時に手足を動かして多少の金を儲けたり、
また時には海外諸国に散在する日本人の中で、
中村春吉は同胞の一人だ、どうかその目的を遂げさせたいではないか、
そんな同情から食物また金銭を贈ってくれる時は、
快く受け取る場合もあるが、僕は外国人からは一文たりとも貰わん。
外国人の助けを受けるのは嫌なのです、と。
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彼は歓迎会で集めてくれた賞金を辞退して会場を後にし、
例の駄馬みたいな自転車に跨り、振り返りもせずイギリスの方へ走り去ってしまったそうだ、
なんとも一風変わった快男児ではないか。」
島村君がフランスの新聞を見せ、この話をしてくれた時、
私は初めて中村春吉という人間の存在を知ったのである、
知って、とても愉快な気分になったのである。
この男に会った事は無いけれど、実に素晴らしい快男児ではないか。
自転車世界一周を企てた真意は未だ分からないけれども、
何にしろ面白い、それだけに僕は彼の成功の祈ったのだ。
しかし、その時はただ面白いと感じていただけで、
後々、彼と向かい合って語り、その壮快な旅行談を諸君の前に披露する事になろうとは、
当時、夢にも思わなかった。
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続く。