単車に乗りたい単車に乗りたい、遠くへ行きたい僻地へ行きたい。
そんな思いが常々頭にあるのは何故か?
その思いを叶える機会が中々無いからである。
じゃぁ何故機会が無いのかと言うと、
様々な理由はあれども所詮は
言い訳。
コレは健全ではない!と思い立ち、
突如、本州最南端
「潮岬」へ向かった昨日。
あ~、着いた着いたアハハハ~。
等と言ってる場合では無い。
思えば単車に跨り20年以上、
潮岬には何度も何度も来ており、
何の新鮮味も無ければ感慨も無い。
潮岬はあくまで
スタート地点、
そしてコレから始まるは、
紀伊半島南部に点在する小さな集落を結ぶ、
蜘蛛の巣の様に伸びる険しい道の旅。
紀伊半島を表すキーワードは、
幾重にも重なる山、その間を流れる川、
そしてそれ等を中心とした豊かな自然、
略して
「山川豊」、とかそんな事はどうでもよくて。
近年、広くて綺麗な道路の整備も進み、
目的地に行くだけなら、案外スムースに到達可能。
しかしメインルートから脇に入った細い道にこそ、
和歌山でしか見れない原風景があり、
そこにこそ和歌山の魅力を感じるのです。
という訳で、地図で目星をつけて来た、
紀伊半島南端から中央部へ伸びる
県道43号線へ。
地図で見ると
「と・・・とんでもねぇ道に違いねぇ」、
そう思わすに充分な道に思えたのに、
走り出してすぐに
「道の駅」の看板が。
道の駅があるって事は、案外栄えているのかしらん?
と立ち寄って驚愕、無人道の駅。
メシ喰う所もお土産屋も何も無く、
あるのはスタンプラリー用のハンコ達と。
「へき地診療所」
どうやら自分の考えていた道の駅と、
この道の駅とは解釈が違う模様。
うむ、遠くへ来たって感じがして来た。
けど・・・。
こんな所にまで道の駅か~、
紀伊半島の近代化もドンドン進んでるな~。
と落胆交じりながらも快調に走れたのも束の間。
道はドンドン狭くなり、
やがて
「道幅1.7m注意」の標識が。
1.7m・・・離合とかそういうレベルの話では無い。
路面は荒れ放題に荒れており、
ブラインドコーナーに突っ込む訳にも行かず、
コーナーの向こうを覗き込む様に、
スーパースローペースでジリジリ進む。
地図で見ると直線距離約15km。
しかし蛇がのたくった様に続く道は、
倍の30kmを超えてもまだまだ終わらない。
「お!このダート何処に続くんやろか?」
と、京都であれば思う事も、
今は全く思わないのさ、紀伊半島マジック。
路面と対抗車という2つの敵と対峙し、
一つ角を曲がる度に、
カードゲームのカードを捲るが如く、
神経を擦り減らす事1時間少々。
民家が見えた~!
この紀伊の生活風景の美しい事。
山の奥の奥のこの場所に、
何故人は棲み始めたのだろう?
そう考えてしまうけど、おそらく愚問。
そもそも人は国中疎らに其々の生活を営んでおり、
「道路無くして人住まず」というのは、
長い歴史の中のホンの数十年の事なのだろうから。
そう、紀伊半島の奥には、
現代においては夢想でしかない、
「日本の原風景」というモノが存在する。
それは物理的距離では無く、
時間距離で隔絶され今も残っているのだから、
時間と労力をもってしか辿り着けない。
直線距離たったの30km少々を越えるだけで、
空は暮れ出してしまう程に紀伊は深い。
と、熊野川を眺めながらセンチメンタルな気分に浸り、
「さすがにコレ以上小道は厳しいから、国道でズドーンと帰りますか」
そう考えていた時には、この後来る苦難を想像もしていなんだ。
新宮から奈良の吉野まで約130km程。
紀伊を貫く綺麗な国道の恩恵を受ければ、
京都までは3時間程度で辿り着けるはずだった。
が。
先日の大雨の影響で
通行止めの箇所があり、
案内される
迂回路は・・・再び細くうねった小道。
日は沈み、心許ないライトが視界を狭める中、
路面に浮いた砂利にハンドルを取られ取られ、
反復練習の様な動きを延々と、延々と続ける。
やっと国道の明かりが見えた所で心底息をつく。
気力、体力共に擦り切れ疲労困憊。
さぁ後は普通の国道走って京都まで150km位。
逃げる前に振り返った紀伊半島の黒い山々は、
「また遊びにおいでや」と、
圧倒的なプレッシャーをもって語りかけて来る様で、
つい軽い気持ちで来た事を謝ってしまいそうに。
そんなこんなで走りも走った630km。お腹一杯、吐きそうなまでに。
スンマセン、もう単車乗りたい・遠く行きたい・僻地行きたいとか我侭言いません。
10日後どう思ってるかは知らんけど。