アナタの事を「師匠」と呼び始めたのは、いつ頃からでしょう。
思い返しても、いったいいつの事だったかよく思い出せませんが、
多分、アナタがテントも持たず冬の大台ケ原にツーリングに行き、
樹氷の中で寝袋だけで寝て帰って来た、
その報告を聞いた時だったかな、と何となく。
その後、アナタはユーラシア横断ツーリングへ出て、
砂漠を越え、極寒のトルコでテントの中にツララをはりながらも、
桃源郷を見、2万kmを走り抜き無事帰って来た事に自分は驚き、
そんなアナタの自転車を用意させて貰った事、
その事を自分はとても誇らしく思いました。
後から振り返って、日本人初ルートである事を知り、
「次はもっと難しいルートで挑戦したい!」
そんな事を言うアナタに、自分はもう・・・いつも衝撃を受けるしかなかったですよ。
ただ、仕事を始め、忙しくなって時間も取り難くなったアナタは、
少ない時間で、アナタの冒険心を満たせる山登りに魅せられ、
初山なのに、いきなり冬の剣岳へ行ってましたね。
本当に、無茶苦茶やなぁと、アナタの背中をいつも見ていました。
昨日、アナタのお母さんから連絡を頂きました。
驚くというよりも、ただボウっとしてしまい、
とても現実の事とは受け取れない自分が居ました。
八ヶ岳で凍った状態で見つかっちゃったそうですね。
アナタらしい最期と言えば最期だと、少し嬉しくなります。
泣いて別れても仕方ない、その事はよく理解している積りです。
それでもやっぱり、悲しい、惜しいという気持ちは塞ぎ切れません。
アナタは、国内のツーリングに飽き足らず、
海外ツーリングをこなし、より挑戦を求めて山登りを始めましたが、
「足りない」という気持ちがあった事、話してくれましたね。
だから多分。
アナタは今、須弥山に狙いを定め登り始めたのでしょう。
アナタ程のガッツと知力と行動力があれば、
須弥山を登頂する事も、時間の問題のはず。
かつて、パキスタンの桃源郷の風景を語って聞かせてくれた様に、
須弥山の頂上からの風景の如何なるものか、また聞かせて下さい。
自分も50年以内には其方へ行きますから。
イクヲ師匠。
アナタは自分の憧れであり、アナタと過ごせた時間は誇りでした。
ありがとう、そしてさようなら。