(18)赤塗りの洋館(酷い女洋人)
日本では赤いペンキで塗った家には天狗が住んでいたそうな。
このシンガポールの赤い家には、どんな奴が住んでいるのかと、
僕は半ば好奇心にかられ、急ぎその家の戸口に到り扉をコツコツと叩いた。
それに応じて中から、
「ドナタ?」と言ったのは、婦人の優しい声である。
僕は意外に思った
「これじゃいけない」。
喰い付かれようと思って来たが、あの声の様子では喰い付かれそうにも無い。
しかし、その代わり良い奉公口が見付かるかもしれない、等と思っている内、
鍵を
カチリといわせ、扉を開けて現れたのは、
年の頃30ばかり、トビ色の髪の毛を頭の天辺にグルグルと巻き付け、
緑の目玉も然程大きく無く、顔の色は白く、耳たぶが少し赤く、
黒い着物を着てニョッコリ出て来た西洋のおかみさんである。
人相も特別悪く無いので、これはいよいよいけない、
喰い付けと言っても喰い付きそうにないと思ったから、
僕は好奇心を全て捨て、至極真面目になり、持ち前のドラ声を低くして、
「僕はこの地へ来た日本人だが、どんな仕事でもするから雇ってくれぬか。」
と言うと、さぁまた不思議な事に・・・。
西洋のおかみさんは、初め出て来た時は大層人相がよかったが、
見る間に人相が悪くなって来た。
僕が「雇ってくれぬか」と一言二言話している内に、
緑の目は光り出し、白い顔は酒を飲んだ様に赤くなり、
如何にも憎い!腹立たしい!と言わんばかりに唇を震わして、
「オ前サン、何ヲ言ウノデス!マタ悪サヲシニ来タンダネ!
雇ッテクレナンテヨク言エタモンダ、図々シイニモ程ガアル。
私ハ日本ノ男ガ大嫌イデス!
先日モ家ノ下女ヲ盗ミ出シタノハ、オ前デショウ!
エイ、口惜シイ!オ前ニ違イアリマセン。
ソンナ不埒ナ事ヲスルト、 酷イ目ニアワセテヤリマス!」
と、何が何だか分からぬが、一人ブツブツ怒りながら奥へ走って行って、
また出て来たのを見ると、手に長さ5尺ほどの太い青竹の棒を引っさげて来た。
ハテ、何なんだろう?このおかみさん、バケモノか?
何て人相の変化の激しい事だ、何をする積りだろう?とぼんやりしている内に、
おかみさんは風の如く走って来るなり、青竹の棒を突き出していきなり僕の頭を殴り付けた。
油断していたものだから、青竹の棒は強かに僕の頭に当たったが、
ご存知の通り、僕の頭は石頭だから痛くも何とも無い。カチンと音がして跳ね返った。
痛くは無いが、この不意打ちを喰らって僕は驚いた。
いや、驚いただけではない、少々腹が立つ。
何で人の頭を木魚の様に殴り付けるのだ、と。
おかみさんは、また殴り付けようとするので、僕は身をかわし、
素早くその棒を引ったくり、後ろの方へ投げてやると、
青竹は玄関前の石段をカランカランと転がり落ち、
傍らの溝の中に落ちてしまった。
おかみさんは
「口惜シイィ~!」と歯軋りした。
何が口惜しいのだ、此方こそ腹が立って口惜しいではないか。
僕は喰い付かれる覚悟で来たとは言え、こんな目に遭うとは思わなんだ。
世間には、酷いかみさんも有れば有るものだ、
この女洋人、優しいどころか以前の赤ひげ尖り鼻のジイサマよりも嫌な奴だ。
こんな奴は以後の懲らしめの為、少々痛い目にあわせてやろうかと、
僕は例の拳骨を握り固めたが・・・
待てよ、天下の豪傑 中村春吉が、
女洋人と喧嘩したと言われては、
不名誉にはなっても名誉にはならぬ。
この拳骨で一つポカンと殴り付けたら、
女洋人の頭など微塵に砕けてしまうかもしれぬ。
万一、女殺しなどやっては面倒だ。
何事も気の持ち様、これも考えてみると中々面白い、
後の話の種になるかもしれんと思ったから、
事のついでに、僕はこのおかみさんを
もっと怒らしてみようと、
またもや物好きな思い付きをし、握り固めた拳を緩め、
自分の鼻を摘んで奇妙キテレツな顔をして、
クルリと尻を向け、手のひらでピシャリピシャリと2,3度尻を叩いて見せ、
そのまま自転車を引っ担いでスタスタ逃げ出すと、
案の定、おかみさんの怒ったの怒らぬのという騒ぎではない。
エイ、口惜しい口惜しい!と叫びながら、玄関の石段を駆け下り、
そこらの小石を拾って、後ろから僕に投げつけた。
この女洋人、なかなか石投げの名人とみえ、小石は見事に僕の頭の天辺に当たり、
カチンと跳ね返って前に落ちた。
いくら石頭でも、小石をぶつけられては少々痛かったが、
これはこれでとても面白い。
後の記念になると思ったから、その小石を拾ってポケットに入れ、
後ろを振り向いてアカンベイをしてやった。
そうしてなおもスタスタ逃げて行くと、おかみさんはますます腹を立て、
長い着物の裾をバタバタいわせ、尻を振りたて追いかけて来て、
しきりに小石を拾っては投げ付けたが、そう上手くは当たらんよ、
アハハハハハハ!
僕は変な女洋人に追われ、面白可笑しく2,3町スタスタと逃げ、
もうよかろう、と後ろを振り返って見ると、女洋人は追いくたびれたのか、
度々此方を向いて、目を剥き歯を剥き、威嚇しながら赤い家へ帰って行く所でした。
もう石の飛んで来る恐れは無いが、それにしても僕は不思議で堪らない。
これが夢で無ければ、この街はキチガイ街としか思われぬ。
僕が扉を叩いて雇ってくれないかと頼み込むと、返事もせずに、
いきなり手を振る、水をぶっ掛ける、怒鳴りつける突き飛ばす、
中でも赤ひげ尖り鼻のジイサマは、
「コノ野郎!マタ、フテェ事シニ来ヤガッタノカ!」
と、僕を泥棒の如く罵り、変な女洋人は、
「オ前サン、雇ッテクレトハ図々シイ。
オ前デショウ!先日モ家ノ下女ヲ盗ミ出シタノハ。」
とかほざいて、僕の頭をぶん殴る。
一体全体、何が何だか分からぬ、
ひょっとしたら、僕の顔に悪党の人相でも出ているのか、
さも無くば、着物に変な目印がついているのではあるまいか、と思ったので、
丁度通り掛かった所に水溜りが有ったので、水鏡に写して自分の姿をよく見たが、
特別異常も見当たらないので、いよいよ分からない。
はてさて、変な事も有れば有るものだ、と暫しぼんやりとして、
とある家の門口に立って考えていると、丁度街の方から、
大股に悠々と歩いて来て、僕の立っている前を通り過ぎ、
すぐ傍の門内に入ろうとする一人の外国人がある。
見ると、比較的温厚な顔つきで、紳士らしき風采を備えた男だから、
僕は静かに手を挙げて、
「ちょっとお待ち下さい、少々お尋ねしたい事があります。」
と、呼び止めました。
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続く。