本日、オートバイのマフラーを交換しました。
本当はノーマルが一番なんでしょうけどね。
頭では理解しているつもりでも、それでも、ホンの少し・・・何と言うか・・・。
で、いざ変えてみても、昔は普通と思っていた音量のマフラーが、
どうにも耳障りで、なんならうるさいと感じてしまう。
そんな勝手な我侭を解決に導く為に導入した今回の、
シムズクラフト製 手曲げエキパイ+トラディショナルメガホン
とても美しい曲げのアール。よく消音された丁寧な作りのサイレンサー。
大阪の豊中でオッチャンが一人で作っているそうで、
コレがたったの¥48,000!損得勘定無茶苦茶です。
その製作者たるオッチャンとは面識などは無いのですが、製品に人柄が表れる様に思います。
で、何で自転車屋の日記でオートバイやねん、という話ですが、
ハッキリ言って、どうでも良い事でしょう?自転車屋の兄ちゃんのオートバイなんて。
でも、世の中の事は大体において、他人様には如何でも良い事を、
本人だけが大騒ぎしていると言う事が基本な気がします。
そう、他人様には如何でも良い事。
しかしこのマフラーに替えた時、自分は思う訳ですよ。
「ちょっと・・・乗ってみようか」と。
今までとは違う、ストスト・・ともバスバス!とも言わない、
ルトトントントン、という自分の納得行く小気味良い音を引き連れて走るなら、
きっと何処でも気持ち良いだろうと。
勿論、昨日までも乗りたいという気持ちは有ったけど、
それが寄り明確に、強く、想われる事は確かで、
その事の意義たるやもう・・・。
そう、こういう「乗りたい!」と思わす力、つまり切欠というのは、
人が何かを楽しむ際には非常に重要で、
時に絶対性能を大きく上回る様に思うのです。
ただ、そういった際の基準と言うのはとてもエゴイスティックなモノで、
人様と共有しよう等というのは、甚だ馬鹿げた話です。
しかしですね・・・その「乗りたい!」を高めるアクセラレターの存在、
それ自身についてなら、きっと多くの人が思い当たる節は有るでしょう。
空井戸で扱う自転車は、残念な事にけっして安くは無いです。
なのに、高級車では無いし、高性能でも無いかも知れません。
でも、それでも、曖昧な基準の中で明確に「乗りたい!」と思って頂ける、
そんな自転車を、昨日も今日も明日も、ばら撒いて行きたいのです。
それを「ゆる乗り」や、「チャリ仲間」なんて言葉で逃げるつもりは毛頭御座いません。
貧乏臭い玄関に光るこの一台を見て、自分は「乗りたい!」と背中を押されます。
上腿部に緊張感を感じます。
全ては此処がなければ始まらん、と、
そんな風にう思うのは、本当の感情なのか、損得勘定か、
考えてしまうほどに、此方は勝手に真剣なのです。
皆さんの、お気に召すが、日本全国で、
皆さんと出会う事を祈って居るのです。馬鹿馬鹿しい程に。
自分は、こういうモノを作る人は、とても偉大だと考えます。