だいたい毎日通る、或る道で、
何日前かはもう定かで無いのですが・・・鳩が轢かれて薄くなって居りました。
憐れんだからとて何になる訳でも無く、
動物とは何とペシャンコになるものか、
なんて漠然と考えながら横を通り過ぎる毎日の中。
日々、少しずつ、肉体であったモノが、流され、消えて行く。
その様正に九相図。
けれど、どうしても最後の羽が、
流れて側溝を伝わり地下の下水口に消える事無く、
アスファルトの上に存在を誇示し続けるのです。
どんな美女もやがて朽ち果てるという、世の無常を示す九相図。
右京区には九相図に描かれた故事に由来する「帷子辻」という地名もありますし、
夢野久作のドグラマグラにも出て来ました。
そう、周りに溢れ、言わばもう語り尽くされた命題であるはず。
あるはずなのですが、しかし輪廻の輪に入って行くという事は、
簡単に伝わる程お手軽インスタントなモノでも無い事も確かで、
鳩一匹消えゆく事も侭為らん、況や・・・。
最近、頭の上が曇天です。
地球上の水の量は決まっているのだから、曇る時もあれば晴れる時もあるのですが、
今まで晴ればかりで、在る事を忘れかけていた雲が頭上を重く覆ってきています。
近しい人や、その身内の人、己の親族と、病の話が次々に飛び込んで来るのです。
そんな今の状況も、「無常」の一言で整理できるはずなのに、
どうしても何かが余ってはみ出してしまっている様な、そんなで。
悲しいとか、大変だとかそういう明確な気持ちでは無いから、
凡夫たる自分は、天を仰ぎ、
ただその不安が何色なのか確かめようと目を凝らす事しか出来ない。
誕生日があれば、メデタイメデタイと騒ぎ立てたい気もするけれど、
騒いだ振り幅の分だけ、やがて降り出す別れの雨が大きく返って来るのではないか、
そんな思いが、ジッとするというフリーズ状態を答えとする。
やがて晴れろとジッと待つ。
晴れる事と降る事は一対であると信じているから、
やっぱ濡れねばならぬのかと、諦めながらも晴れを待つ。
天に手が届く訳など無いのだから。